[解説]複雑化する電力市場を俯瞰する(1)
[解説]複雑化する電力市場を俯瞰する(1)
はじめに
日本の電力システムは、2016年の小売全面自由化を経て、それまでの「垂直統合・地域独占」モデルから、あらゆる機能が市場を通じて取引される「アンバンドリング(機能分離)」モデルへと進化を遂げました。
現在の市場構造は、単に電気を売り買いする場ではなく、「電力量(kWh)」「供給力(kW)」「調整力(ΔkW)」「環境価値」という4つの異なる価値を、時間軸に応じてパズルのように組み合わせる極めて高度な仕組みとなっています。
そこで、それぞれの市場の役割、仕組み、そして市場同士がどのように連携しているのかを詳細に解説します。

日本卸電力取引所(JEPX)で行われる取引は、私たちが日々消費する電気の「現物」を扱う市場です。
スポット市場(前日市場)
スポット市場は、翌日に受け渡しする電気を、30分単位(1日48コマ)で前日に売買する、日本で最も流動性の高い市場です。
スポット市場では「ブラインド・シングルプライス・オークション」方式を採用しています。売り手と買い手がお互いの価格を見ずに入札し、需要と供給が一致した価格(約定価格)で全員が取引します。
近年、太陽光発電の導入が進んだことで、晴天日の日中は供給過剰となり、価格が最低値の0.01円/kWhに張り付く「市場の限界費用化」が頻発しています。一方で、夕方の需要ピーク時には価格が急騰するなど、価格のボラティリティ(変動幅)が激しくなっています。
時間前市場(当日市場)
前日市場の約定後、実際の需給の1時間前まで取引が続けられる市場です。
前日市場の役割は、 前日の予測(気温や発電機の稼働予定)が外れた際の最終調整弁です。「ザラ場」方式(提示された売り注文と買い注文が一致した瞬間に約定)で行われます。
突発的な発電機のトラブルや、雲の流れによる太陽光出力の急変に対応するため、小売電気事業者にとってリスクヘッジの重要な場となっています。
2. 需給調整市場:周波数と電圧を維持する「黒子」
電力は「作る量」と「使う量」が1秒たりとも狂わず一致しなければ、周波数が乱れ、最悪の場合は大規模停電(ブラックアウト)を招きます。この微調整を担うのが需給調整市場です。
取引される価値は調整力(ΔkW)です。これは「実際に発電した量」ではなく、「指示に応じて出力を上げ下げできる能力」に対して支払われます。
区分としては応答速度や継続時間に応じて「一次〜三次」のメニューに分かれています。数秒以内に反応しなければならない「一次調整力」には、火力発電のガバナフリー運転や、近年では大型蓄電池、工場の稼働を止めるデマンドレスポンス(DR)が活用されます。
広域化のメリット
以前は各エリア(東電管内など)ごとに調達していましたが、現在は全国大で市場運用されており、コストの低い調整力を地域を越えて活用できるようになっています。
3. 将来の「安心」を売買する:供給力価値の市場
スポット市場で電気の価格が安くなりすぎると、発電事業者は燃料代すら回収できず、老朽化した火力発電所を維持できなくなります。しかし、これらが廃止されると、極寒や猛暑のピーク時に電気が足りなくなります。これを防ぐのが「kW(供給力)価値」の取引です。
容量市場
「4年後の日本全体に必要な発電能力」をあらかじめ確保する市場です。
役割: 発電所の固定費(人件費や維持費)を補填し、電源の維持・新設を促します。
関係性: 小売電気事業者は、顧客の需要実績に応じて「容量拠出金」を支払います。これにより、スポット価格がどれほど安くなっても、安定供給に必要な発電所が生き残れる仕組みを担保しています。
長期脱炭素電源オークション
容量市場の特別枠として、2024年度から本格始動した仕組みです。
目的: 蓄電池、水素火力、原発のリプレースなど、巨額の初期投資が必要で、かつ脱炭素に資する電源に対し、20年間にわたる長期の収入見通しを提供します。これにより、民間企業が長期的な投資判断を下せる環境を整えています。
4. ベースロード市場:新電力の競争条件を公平にする
かつての地域独占時代から、石炭火力や原子力、大規模水力といった「安価で常に動いている電源(ベースロード電源)」は大手電力が保有しています。
大手電力が持つ安価なベースロード電源の一定量を市場に放出させ、自前の発電所を持たない新電力も同じコスト条件で電気を調達できるようにする枠割を担っています。これにより、小売市場における「公正な競争」を維持しています。
5. リスク管理の要:電力先物市場
電力のスポット価格は、燃料価格(原油や天然ガス)や気象条件に左右されやすく、時には10倍以上の価格差が生じます。そこで、将来の電気を「今決めた価格」で予約する取引が電力先物市場で行われます。
小売電気事業者は、将来の調達コストを確定させることで、一般消費者に対して「安定した電気料金」を提示できるようになります。現在、東京商品取引所(TOCOM)やドイツのEEXといった取引所での売買高が急増しており、市場の成熟を象徴する分野となっています。
6. 脱炭素価値の切り離し:非化石価値取引市場
電気そのものの価値(kWh)とは別に、「CO2を排出していない」という証書(環境価値)を売買する市場です。太陽光や風力、原子力などで発電された電気には「非化石証書」が付与されます。
RE100を掲げる企業や、自治体が「実質再エネ100%」を謳いたい場合に、この証書を購入します。この売却益は、再エネの導入支援金(再エネ賦課金の軽減)に充てられる仕組みになっています。
全体を俯瞰する:市場同士の相互作用
これらの市場は、一つの発電機が持つ異なる側面を同時に取引しています。
- 長期脱炭素オークションで建設資金の目処を立て、
- 容量市場で日々の維持費を賄い、
- スポット市場で燃料代以上の利益を出し、
- 余った調整能力を需給調整市場に供出し、
- 非化石属性を非化石市場で売却する。
このように、事業者は複数の市場を高度に使い分ける「アグリゲーション(統合)」のスキルが求められる時代になっています。各市場の流動性が高まることで、日本全体の電力コストを最適化しつつ、カーボンニュートラルという難題を解決する構造が整いつつあります。