なぜ日銀が政策金利を0.75%に引き上げても円安になるのか?
なぜ日銀が政策金利を0.75%に引き上げても円安になるのか?
DS構造研究所長 酒井直樹
なぜ、ドル円為替はこれほど円安なのか
― 金利を上げても円が売られるという違和感 ―

なぜ、ドル円為替はこれほど円安なのか。
しかも先週は、日本銀行が政策金利を引き上げたにもかかわらず、直後にさらに円安が進む局面が見られました。「金利を上げれば円高になるはずではないのか」という素朴な疑問を、多くの人が抱いたのではないでしょうか。

もちろん、為替は単一の要因で説明できるものではありません。ただ、いくつかの視点を重ね合わせていくと、今起きている円安には、単なる日米金利差だけでは説明しきれない背景があるようにも見えてきます。
アメリカの財政拡張と利払いの膨張
― 出発点としての米国財政 ―

一つの出発点として考えられるのが、アメリカの財政状況です。
アメリカではここ数年、政府支出が大きく膨らみ続けています。2025会計年度の連邦政府予算規模は約6.8〜7兆ドルとされ、日本円に換算すれば1000兆円規模に達します。このうち、国防費はおよそ9,000億〜1兆ドル、そして注目されているのが国債の利払い費です。純粋な「利払い」だけで、すでに年間1兆ドル前後に達しているとされています。

こうした状況を受けて、「ドルの信認は本当に大丈夫なのか」という議論が、少しずつですが市場で意識され始めているようにも見えます。実際、ドルは他の主要通貨、例えばユーロに対しても、長期的に見ると必ずしも一方的に強いわけではありません。
もっとも、ここで重要なのは、「アメリカはすぐに財政破綻する」という話ではありません。ドルは依然として基軸通貨であり、米国債市場の流動性も圧倒的です。ただし、財政に対する不安が「ゼロではなくなってきた」という空気感が、市場心理に影を落とし始めている可能性は否定できません。
ヨーロッパと日本に向けられる視線
― 財政不安が連鎖する世界 ―

そして、同じことはヨーロッパにも当てはまります。
ウクライナ戦争への軍事支援、エネルギー価格高騰への対策、コロナ後の景気刺激策などにより、欧州各国でも政府債務は増加しました。その結果、フランス、ドイツ、イギリスといった主要国で、特に長期国債の利回りが上昇しています。欧州中央銀行(ECB)が利下げに転じにくい背景にも、こうした財政要因があると指摘されています。
https://www.ecb.europa.eu
こうして見ていくと、世界全体で「政府支出の拡大」「財政赤字」「国債増発」「利払い増加」という共通の構図が広がっているようにも見えます。いわば、可燃性のガスが充満している空間に、どこかで小さな火花が散ったような状態、と表現できるかもしれません。
その文脈の中で、改めて日本に視線が向けられた、という見方もあります。
アメリカの政府債務残高は、GDP比で約120%前後とされています。それでも高水準であることは確かです。
そうした議論の中で、「では日本はどうなのか」という問いが浮上します。日本の政府債務残高は、GDP比で見るとグロスでは260〜270%程度と、主要国の中で突出しています。この数字だけを切り取ると、「日本は本当に大丈夫なのか」という印象を与えやすいのも事実です。
日本・米国の政府債務の対GDP比年次推移(2000–2025)をご覧ください。

こうした中で誕生した高市政権は、アベノミクスの継承者と見られやすく、金融緩和や低金利を重視する姿勢が続くのではないかという米国エコノミストの声を多く聞きます。
高市首相は過去に、性急な利上げに否定的とも受け取られる発言をしたと報じられたこともあり、こうした印象が市場に残っている面も否定できません。
さらに、令和7年度の補正予算が大規模であったことや、令和8年度以降も財政拡張、減税、補助金拡充が続くのではないかという観測が、市場で意識されている可能性もあります。

美人投票としての為替市場
― 円安は何を映しているのか ―

もちろん、日本については「純債務で見れば話は違う」「国債の大半は国内で消化されている」「民間部門には1,000兆円を超える金融資産がある」といった説明が、これまでも繰り返されてきました。それらはいずれも、合理性を持った説明です。
ただし、為替市場や金利市場が、そこまで丁寧に各国のバランスシートを読み込んで動いているかというと、必ずしもそうとは言えません。
マーケットは理論よりも、雰囲気やストーリー、あるいは「テーマ」で動きます。そして「他の参加者がどう考えていそうか」を重視する、美人投票的な側面を強く持っています。

そう考えると、今回の円安局面は、日本の財政そのものというよりも、「世界的に財政不安が意識され始めたタイミングで、日本の数字があらためて目に入ってしまった」という不運な側面があったのかもしれません。
過激な表現を使えば「ガスが充満している部屋でマッチを擦ってしまった」ともいえるかもしれません。

一方で、日本銀行の金融政策も重なります。
日本銀行の上田総裁がいわゆる「中立金利」について明確な水準を示していないこともあり、金融政策がインフレに対して後手に回る、いわゆるビハインド・ザ・カーブに陥るのではないかという懸念もあります。
こうした状況の中で、日本は今、その一挙一動が海外投から強い関心をもって観察されています集。中には「日本は世界的公的債務危機の炭鉱のカナリアだ。注目せよ。」と表現するエコノミストもあります。日本の行方が、アメリカやヨーロッパの将来を占う試金石になるという見方です。
それが正しいかどうかは分かりません。ただ、今回の円安は、日本の実態というよりも、世界的な財政不安と金融政策への疑念、そして市場心理が重なって映し出された一つの姿なのかもしれません。引き続き注意が必要です。