[解説]日本の電力先物市場の現在地(2):欧州エネルギー取引所(EEX)と東京商品取引所(TOCOM)の発展

· 電力先物市場,電力取引市場

第5章:EEXとTOCOMの最新動向と戦略的進化

日本の電力先物市場を牽引する二大プラットフォーム、EEXとTOCOMは、2025年現在、単なる「取引の場」を超え、実需家の高度なニーズに応えるための劇的な進化を遂げています。最新のプレゼンテーション資料からは、両取引所が流動性の向上と商品ラインナップの拡充において、極めて具体的な成果を上げていることが分かります。

5.1 EEX:グローバル・スタンダードの導入と圧倒的な商品拡充

EEX(欧州エネルギー取引所)は、2020年の参入以来、海外の機関投資家やトレーディングハウスを巻き込み、日本の電力市場に「金融の厚み」をもたらしてきました。2025年10月の最新資料によれば、EEXは特に「商品設計の柔軟化」において大きな飛躍を見せています。

第一の大きな変化は、2025年10月14日に上場された「会計年度先物(Fiscal Year Futures)」です。これは日本特有のビジネス慣習である4月〜3月の年度単位に合わせた商品で、東京エリアおよび関西エリアで最大6年度先までの取引が可能となりました。これにより、企業の予算策定や長期的な電力調達コストの固定化が、これまで以上に容易になりました。

第二に、デリバティブ運用の高度化を支える「オプション取引」の開始です。2025年2月、EEXは東京・関西エリアを対象に月間平均オプション(Japanese Monthly Power Options)をローンチしました。上場以来、すでに1.5TWhを超える取引が行われており、価格変動に対する「保険」としての機能が急速に浸透しています。これは、将来の特定の価格で売買する「権利」を取引することで、極端な価格スパイク(急騰)から身を守りつつ、価格下落時のメリットも享受したいという実需家のニーズに応えるものです。

第三に、季節性商品の拡充です。2024年11月には、季節物先物(Seasonal Futures)の取引期限が4シーズンから8シーズン(2029年3月まで)へと延長されました。これにより、4年先までの需給リスクをヘッジすることが可能となり、発電所の定期点検や長期的な燃料調達計画に合わせた緻密なリスク管理が実現しています。

さらに、EEXは電力だけでなく、燃料側(ガス)との相関性にも注目しています。2024年に開始されたJKM(アジア向けLNG指標)やTTF(欧州ガス指標)の先物取引は、日本の電力価格と高い相関性を示しており、2025年上半期にはTTF-JKMの相関が過去最高レベルに達しました。これにより、発電事業者は「燃料価格(入力)」と「電力価格(出力)」を同時にヘッジする「スパークスプレッド」の管理を、EEXという一つのプラットフォーム上で完結できる体制が整いつつあります。

5.2 TOCOMの差別化戦略:国内法に基づく信頼性と実需への密着

一方、日本取引所グループ(JPX)傘下のTOCOM(東京商品取引所)は、日本の国内法に基づく取引所としての強みを最大限に活かし、実需家が「使いやすい」市場環境の整備に注力しています。

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TOCOMの最新の取り組みの中で特筆すべきは、JEPX(日本卸電力取引所)との強固な連携です。現物市場であるJEPXの価格指標をベースとした商品設計は、国内の小売電気事業者にとって馴染みやすく、清算機関であるJSCC(日本証券クリアリング機構)を通じた安全な決済スキームを提供しています。

また、TOCOMはマーケットメイカー制度を戦略的に運用しており、常に「板」に注文が並ぶ状態を維持することで、中堅以下の新電力でも少口から参入できる環境を作っています。これにより、市場の透明性が確保され、指標価格としての信頼性が向上しています。金融機関の参入障壁を下げるための制度改善も継続的に行われており、国内資本によるエネルギー市場の安定化という重要な役割を果たしています。

第6章:発電事業者の視点——中国電力の事例に見る「アセットバック・トレーディング」

電力先物市場の進化は、伝統的な電力会社の経営戦略をも根底から変えつつあります。中国電力の中川賢剛社長による2025年10月のプレゼンテーション資料は、発電事業者が先物市場をどのように捉え、活用しているかを克明に示しています。

6.1 物理的な「需給管理」からビジネスの「意思決定」へ

資料によれば、現在の電力市場は「物理的な需給管理を行うスポット市場(JEPX)」と、「ビジネスの意思決定を行う先物・先渡市場」に明確に分離しています。驚くべきことに、ビジネス上の意思決定の太宗は、すでに数年先から前日にかけて行われる先物・先渡取引に移行しています。

中国電力のような発電アセットを持つ企業にとって、先物市場は「アセットバック・トレーディング」を実現するための不可欠なツールです。これは、保有する発電所(アセット)の稼働を背景に、市場での裁定取引やヘッジを行う手法です。

6.2 投資回収とリスクヘッジの高度な融合

かつての総括原価方式とは異なり、現在の自由化市場では、発電所の固定費(O&Mコスト)を市場収益だけで回収することは容易ではありません。中国電力の分析では、容量市場による収益だけでは固定費を賄いきれず、その不足分を「アセットバック・トレーディング」による収益で補完する構造となっています。

具体的には、以下の三つの軸でトレーディングが行われています。

第一軸は「発電トレーディング」です。燃料価格(石油、石炭、LNG、原子力)と電力価格の差である「発電マージン」を先物市場で固定することで、将来の収益を確定させます。

第二軸は「小売トレーディング」です。顧客の需要を一つのアセットと見なし、市場価格に連動したメニューや再エネメニューなど、高付加価値な商品を先物を活用して提供します。

第三軸は「フィナンシャル・トレーディング」です。実物の電気を持たない金融プレイヤーが流動性を提供し、発電・小売双方が抱えるリスクを引き受ける(ヘッジの受け皿となる)ことで、市場全体の厚みが生まれます。

6.3 内部組織の変革:発電と小売の「独立した意思決定」

特筆すべきは、旧一般電気事業者内部での構造変化です。中国電力の事例では、発電部門(ロングポジション)と小売部門(ショートポジション)が、それぞれ独立した意思決定の下で市場取引を行っています。

かつては社内での「振替」で済ませていたポジションを、あえて「内外無差別」の原則に基づき、先物市場等のオープンな場を通じて売買することで、グループ全体の経済性を最適化しています。このような各部門の独立した意思決定が、結果として先物市場の流動性を高めるという好循環を生んでいるとのことです。

第7章:制度と市場の「相補的」な未来展望

2024年度から2025年度にかけて、日本の電力システムは大きな転換点を迎えています。中国電力の資料が指摘するように、再生可能エネルギーの導入量は2016年比で約2.2倍に増加した一方で、火力発電所の休廃止が進み、火力の発電量は約24%減少しました。この「供給構造の変化」が、市場のボラティリティをさらに高めています。

今後の方向性として、本検討会報告書および各社の提言が一致しているのは、「制度(官)」と「市場(民)」の相補的な関係の構築です。

7.1 予見性を高める「オープン市場の価格シグナル」

容量市場や長期脱炭素電源オークションといった「政府主導の制度」は、長期的な供給力を確保するために重要です。しかし、それだけでは日々の、あるいは数年先の細かなリスクは管理できません。ここで、先物市場が提供する「価格シグナル」が重要になります。

先物市場で将来の価格が可視化されることで、事業者は「いつ、どの電源に投資すべきか」を判断できるようになります。資料では、制度設計が安定供給を導き、オープン市場(先物市場)が経済的な意思決定を支えるという、明確な役割分担が示されています。

7.2 ヘッジ会計から「攻めのリスク管理」へ

実務面での今後の課題は、日本企業の会計・法務対応の高度化です。中国電力は、これまでの「デリバティブに対するヘッジ会計の遵守」という守りの姿勢から、より積極的な先物活用へとシフトする重要性を強調しています。

具体的には、エリアプライスの導入への対応や、送電網の混雑管理(再給電方式)を織り込んだ先物取引の活用などが視野に入っています。

結びに代えて:2万字の議論が見据える「電力新時代」の風景

これまでの歴史、現状の課題、そしてEEX・TOCOM両取引所の最新の進化と事業者の実務を俯瞰して見えてくるのは、日本のエネルギー産業が「製造業」から「リスク管理を伴うサービス業」へと完全に脱皮しようとしている姿です。

2024年4月の検討会報告書が示した課題——金融機関の不在、清算参加者の厚みの不足、インデックスの乖離——は、着実に克服されつつあります。EEXによる年度物やオプションの上場、TOCOMによる取引高の激増、そして中国電力のような大手プレイヤーによる高度なアセット管理の実践。これらはすべて、日本の電力市場が成熟期に入ったことを示す証左です。

電力先物市場は、もはや一部のトレーダーのためのニッチな市場ではありません。それは、日本の安定供給を支え、脱炭素投資を加速させ、最終的には消費者に安定した料金と多様な選択肢を届けるための、国家レベルの重要インフラです。

「金融とエネルギーの融合」という難事業は、今、2025年という時間軸の中で、確固たる現実のものとなりつつあります。

参考文献

  • 経済産業省「電力先物の活性化に向けた検討会 とりまとめ」(2024年4月15日)
  • 欧州エネルギー取引所(EEX)「Japan Power Summit 2025 Presentation」(2025年10月21日)
  • 東京商品取引所(TOCOM)「電力先物市場の最新動向について」(2025年10月21日)
  • 中国電力株式会社「電力システム改革以降の制度的な変遷と電力先物市場」(2025年10月21日)